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博多港の歴史

絵図
■今昔・福博絵図
 17世紀末、元禄時代の福博の古図に現在の地図を重ね合わせたもの。
現在の百道地区~須崎ふ頭などが見えます。今日の博多港が埋立事業によって、福岡市の発展に大きく寄与してきたことを物語っています。
1世紀
8世紀
12世紀
16世紀
20世紀
博多港が国際港としての役割を担ったのは、奴の国王が後漢の光武帝から金印「漢委奴国王」を受けた1世紀半ばが起源といえるでしょう。

その後の国際交流拠点としての発展は、博多港がかつて那の津と呼ばれていた遣唐使の時代、外国使節の応接の場と宿泊所を兼ねた鴻臚館とよばれる迎賓館が設置されたことや、 中世(12世紀)の博多に平清盛が築いたと言われる、人工の港「袖の湊」があったことからも垣間見れます。

博多の街は、戦国時代の戦火による荒廃や、豊臣秀吉の太閤町割りによる復興、江戸時代の鎖国に伴う衰退など歴史的な潮流に翻弄され、幾多の栄枯盛衰を繰り返してきました。
年表絵巻
近代の幕開けとともに、博多港は明治22年に特別輸出港、明治32年に開港の指定を受け、再び海の窓口を世界に開きました。 さらに、昭和26年には重要指定港湾、平成2年には特定重要港湾、平成23年には日本海側拠点港湾の指定を受けるなど、今日の近代的貿易港として発展してきたのです。

| 金印が物語る中国との交流 | 遣唐使の時代・鴻臚館 |
| 大陸文化漂う袖の湊 | 博多商人の全盛期 | 開港指定から今日まで |

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